特定非営利活動法人 米沢伝承館

前田慶次

 米沢市万世町堂森にある堂森善光寺の裏山を半周すると、近くに杉林が見えてきます。この杉林の中に入ると、こんこんと湧き出る泉が大昔の姿をそのままに現れてきます。これが「慶次清水」です。

 前田慶次はこの清水の近くの庵で慶長17年6月4日、70歳で生涯を閉じたといわれています。

 前田慶次は天文10年頃、旧海東郡荒子(現在の名古屋市)に生まれました。父は織田信長の部将滝川一益の甥益重と伝えられています。後に、母が前田利家の兄利久の後妻となったために養子となり、前田姓を名乗り慶次郎利益(利太)となりました。


 義父利久は、尾張荒子城主前田利春の長男であり、利春が没すると跡を継いで荒子城主となりました。慶次は利久の姪と結婚し、順調に行けば跡目を継いで荒子城主となるはずでしたが、織田信長が家督相続を許さず、利久の弟である利家に譲るよう命じました。


 利久が家督を利家に譲った後、諸説はさまざまですが、「米沢人国記」には、慶次は京都で暮らしたと記されています。

 慶次は、京都で公家や文人と交流して和漢古今の書に親しみ、連歌は当時の第一人者紹巴に学び、茶道は千利休七哲の一人である伊勢松坂城主古田織部に皆伝を受けたといわれています。また、武術についても弓馬はもちろん、武芸十八般にも通じていたといわれています。

 織田信長の死後、豊臣政権時代に前田利家は能登の旧領に加え、加賀二郡を加増されます。このとき利久と慶次は利家を頼ることとなり、利久は七千石を与えられ、五千石を慶次に与えています。

 慶次は利家より阿尾城代に任命され、天正18年(1590年)には豊臣秀吉の小田原征伐が始まり、利家が北陸道軍総督を命ぜられて出征することになったため、慶次もこれに従いましたが、天正15年に父を亡くし、徐々に利家に対する反発も生まれ、突然利家の元を離れます。

 前田家を出た慶次は京都に身をおき貴人、文人との交流を盛んに行い、また、諸大名の邸宅にも遊びに出入りし悠々自適の生活を送っていました。この時期に直江兼続に出会ったと考えられます。そして、兼続を通して上杉景勝に接し、寡黙でありながら武と真義を誇る景勝に惚れ込み、上杉家に仕官しました。

 上杉家では米沢城主兼続の与力となって1千石を与えられ、組外扶持方(きほかふちかた)という自由な立場にあったといわれています。

 慶長3年(1598年)秀吉が死去すると、次の天下人として徳川家康が台頭するようになります。秀吉の家臣石田三成と懇意にあった直江兼続は、家康との対立を決意。会津にいる景勝に、謀反の疑いありとして、じかに釈明せよという家康に対し、兼続は暗に家康こそ謀反を考えているのではないかという書状を送り、怒った家康は会津征伐を決意します。


 慶長5年(1600年)、ついに家康は会津征伐のために動き始めました。


 しかし、同年7月、石田三成が家康打倒の兵をあげ、あわてた家康は急遽兵を西に向かわせました。このとき上杉家の家臣たちは家康軍を追撃し、家康を倒すことを景勝に進言しますが、景勝は「謙信公の義の教えをもってすれば、上杉家に退却する敵を追い討ちする戦法はないと許しませんでした。そして、天下分け目の戦い関が原の合戦が始まります。このとき上杉軍は山形城主最上義光を打つべく、山形攻めを開始。その激戦地となったのが長谷堂でした。


 激しい戦闘が半月ほど続き、上杉軍も3回ほど総攻撃を仕掛けますが城は落ちません。そうこうしているうちに、関が原の合戦は西軍敗戦となり上杉軍も撤退を余儀なくされてしまいます。最上、伊達勢を中心にした東軍の猛攻の中、殿(しんがり)を勤めたのが前田慶次でした。

 慶次は三間柄(5.4m)の大槍を持って、群がりくる最上勢の中に縦横無尽に分け入って戦っては退き、戦っては退くという見事な戦いぶりで、味方の将兵を誰一人傷つけなかったといわれています。


 関が原の合戦敗戦後、上杉家は会津百二十万石から米沢三十万石に減移封。慶次は米沢に残り、堂森山近くの清水のほとりに庵(無苦庵)をかまえ、風化吟月を友とし、近隣住民と交流を深め、悠々自適の生涯を送ったといわれています。そのころ親しかった住民に贈った慶次所録の品々が、米沢市堂森の地で代々引き継がれています。


 慶次が残した「無苦庵記」には、
「抑も此の無苦庵(慶次)は孝を謹むべき親もなければ憐むべき子も無し。こころは墨に染ねども、髪結がむづかしさに、つむりを剃り、足の駕籠かき小者やとはず。七年の病なければ三年の蓬も用いず。雲無心にして岫を出るもまたをかし。詩歌に心なければ月花も苦にならず。寝たき時は昼も寝、起きたき時は夜も起る。九品蓮台に至らんと思う欲心なければ、八幡地獄におつべき罪もなし。生きるだけ生きたらば、死ぬるでもあらうかとおもふ」と書かれています。

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