YONECRA(ヨネクラ)

MEMBER

米沢織 齋藤英助
米沢織 YONEZAWA-ORI FABRIC
齋藤 英助 SAITO EISUKE

米沢織元 齋英織物(有)代表取締役

1954年、山形県米沢市生まれ。

130年続く米沢織機屋の3代目として幼少時代から多くの芸術に触れ、特に絵の手ほどきを受けた画家の後藤克芳氏からは、伝統織物に独特な色彩や斬新なデザインを取り入れるなど、作風に大きな影響を受けた。多くの方々に、生活の中で和の心と技を楽しんでいただくことが夢。

米沢織とは

米沢藩9代藩主上杉鷹山が米沢織を産業として確立した後、今日まで市の基幹産業として発展してきました。米沢織の特徴は、織る前に糸を染める先染絹織物で、染料は紅花など自然の植物が主流です。四季折々、変化に富んだ米沢の風土の中、春はうこぎ染めや剪定されたさくらんぼの枝染め、夏は藍染め、秋は栗の実を取り出した後のいが染め、冬は特に染め付がいいと言われている紅花染めなど、季節ごとにいろいろな植物を利用して糸染めが行われます。その繊細な色合いには、化学染料では出し得ない独特の柔らかさがあり、優雅な米沢織に仕上げられます。

米沢織 作品例
INFORMATION

齋英織物(有)
〒992-0054
山形県米沢市城西4丁目5-58
TEL:0238-23-0918

原方刺し子 遠藤きよ子
原方刺し子 HARAKATA-SASHIKO QUILTING
遠藤 きよ子 ENDO KIYOKO

さしこ工房「創匠庵」主宰

1939年、山形県米沢市生まれ。

米沢藩下級武士の妻たちが始めたとされる原方刺し子。その思いと技術を伝承しようと研究を重ね、1980年、初めての個展を開催。その後、アメリカ、ベルギー、フランス、イタリアなどの展示会に出品、講習会も開催するなど今では世界各国からファンが訪れている。2001年に「米沢市文化功労賞」を受賞。

原方刺し子とは

米沢には、昔から刺し子を施した「花ぞうきん」とよばれる雑巾があります。これは400年前、米沢30万石に減移封された上杉家とともに移り住んだ下級武士・原方衆の妻たちが、玄関の敷物として作ったのが始まりと言われています。その美しさは雑巾のイメージとはほど遠く、もはや工芸品といっても過言ではありません。突然貧しくなった下級武士の妻たちが、それでも士族であることのプライドを守るために、懐刀を針に持ち替え作り上げたのが「花ぞうきん」です。こうした心意気と貴重な技術を次世代に伝えるために原方刺し子を工芸品として復活させ、アメリカやヨーロッパなどでもワークショップを開催しています。

原方刺し子 作品例
INFORMATION

さしこ工房「創匠庵」
〒992-0039
山形県米沢市門東町1-1-11
TEL:0238-23-0509

米沢刺繍 中嶋朱実
米沢刺繍 YONEZAWA-SHISHU EMBROIDERY
中嶋 朱実 NAKAJIMA AKEMI

日本刺繍工房&ギャラリー
繍房「朱」(ぬうぼう・しゅう)

福島県福島市生まれ。

幼少の頃から絵を描くことが大好きで、油絵、版画、日本画などいろいろ挑戦し続ける中、偶然に日本刺繍と出会う。その美しさ、細やかさ、図案の妙に感動し本格的に日本刺繍を学び始める。1996年、日本刺繍教室「朱乃会」を発足。日本刺繍の普及のために努めるとともに、米沢織とのコラボや草木染の糸を使った刺繍など、米沢ならではの作品作りに取り組んでいる。

米沢刺繍(日本刺繍)とは

日本刺繍の歴史は古く、5世紀ごろに仏教と共に大陸から伝えられたのが始まりと言われています。その後、時代と共に、それまではほとんど信仰のための繍仏に使われていた刺繍が衣類の装飾に多用されるようになると、日本独自の技法が次々と創作されていきました。現在使われている技法のほとんどが、そうやって桃山時代から江戸時代の職人たちの手によって完成されていったものです。

米沢刺繍 作品例
INFORMATION

日本刺繍工房&ギャラリー
繍房「朱」(ぬうぼう・しゅう)

〒992-0039
山形県米沢市門東町3-3-1
共立ビル3F
TEL:0238-23-2341

米沢焼 水野かをり・水野哲
米沢焼 YONEZAWA-YAKI POTTERY
水野 かをり MIZUNO KAORI

鳴洲窯

1942年、山口県萩市生まれ。

水野哲との結婚後、夫の窯を手伝いながら陶芸教室を始める。各学校やコミュニティセンターでの活動の他に、観光客の体験教室も手がけ人気のスポットに。

水野 哲 MIZUNO TETSU

鳴洲窯

1948年、山形県米沢市生まれ。

萩、上野、唐津で陶芸修行を重ね、1972年、米沢市に戻る。上杉鷹山が興した「成島焼」を再興するために、同じ場所に窯(鳴洲窯)を開き、「米沢焼」として復興させる。今でも土の採取からすべて自分で行い、常に新しい作品に挑戦し続けている。

米沢焼とは

9代藩主・上杉鷹山が米沢藩の財政立て直し策として興した「成島焼」。相馬焼の技法を学び、後に相良(さがら)人形の祖となった相良清左衛門と、藩士の立岩善五郎が指揮して、天明元年(1781年)に始めたと言われています。明治時代に廃窯になりましたが、萩、唐津、上野のそれぞれの味を加味し「米沢焼」として復活させた焼物です。黒・白・青色の釉薬をかけて焼く、どっしりとした温かみのある風合いが特徴です。

米沢焼 作品例
INFORMATION

米沢焼 鳴洲窯
〒992-0083
山形県米沢市広幡町成島914
TEL:0238-37-2839

木工芸 佐藤健一
木工芸 WOOD CRAFTS
佐藤 健一 SATO KENICHI

幸林工芸

1969年、山形県米沢市生まれ。

高校を卒業後、もともとこけしの木地職人だった父親の工房で、木工芸の制作を始める。その年に全国こけしコンクール「大会長賞」を受賞。その後、若い感覚を取り入れた普段使いが出来る食器や調度品を手がけ人気を博している。毎年、各地のイベントや催事に参加。実演と販売も行っている。

槐(えんじゅ)の木工芸とは

昔から、幸せの木・厄除けの木として知られる「槐(えんじゅ)」は、材質が硬く成長も遅い事から、とても貴重な木として知られています。この槐にこだわり、ロクロや彫刻刀で削り、塗装には用途に合わせ漆・オイル・ウレタン塗装で仕上げ、美しい槐の木目を生かした製品を制作しています。こけしの木地職人だった先代が、茶道具を始めとする日用品の制作を始め、現在は親子二代で製品作りに励んでいます。

木工芸 作品例
INFORMATION

幸林工芸 〒992-0033
山形県米沢市福田町1-3-1
TEL:0238-23-5598